そうした中、ついに千住宿は官軍の姿を見ることになった。江戸城は無血開城が決まったが、関東各地ではまだ戦火が収まっていなかった。そのため東山道軍は宇都宮方面へ斥候隊(せっこうたい)を派遣することとなり、軍監(ぐんげん)香川敬三、有馬藤太らが率いる兵力約二〇〇(彦根藩兵、須坂藩兵、岩村田藩兵、岡田善長の歩兵隊から編成)が千住宿に布陣したのである。
※ 東京大学史料編纂所編『復古記』第十一冊(東京大学出版会、一九三〇年刊、一九七五年復刻版を利用)「東山道戦記」第九より。
この東山道軍の斥候隊が到着したためか、同日、五兵衛新田にいた新選組は流山に移動した。しかし、二日に千住宿を出発した斥候隊は粕壁(現春日部)に至ったところで流山にいた新選組を察知。部隊を越ヶ谷まで戻し、そこから流山に向かい、三日に流山で近藤勇の陣屋を急襲、近藤を捕縛した。