北陸道軍の千住宿陣と宿駅制

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 東山道軍の斥候隊が近藤勇を捕縛した翌四月三日になると、東征軍の三つの総督府(東海道、東山道、北陸道)のうちの一つ、北陸道軍が急きょ千住宿に宿陣することになった。北陸道軍は北陸を大きく迂回して関東に入ってきたため東海道軍、東山道軍から約半月遅れて江戸の出入り口に到着したのである。

 ところで、こうした官軍の移動は、幕府が制定した宿駅制を利用して進軍してきていた。もともとの北陸道軍の先触れでは、千住宿を利用することにはなっていなかったため、中山道の各宿場(大宮、蕨など)は混乱を呈した。本来、宿場の助郷人足は次の宿場までの継立(つぎたて)であるが、次宿からそのままさらに先の宿場まで継ぎ越すことが行われた。そうした臨時の手続きなどに中山道の宿役人は忙殺され、蕨(わらび)宿では問屋が逃亡するなどの事態に至っていた。

※ 東京大学史料編纂所編『復古記』第十一冊(東京大学出版会、一九三〇年刊、一九七五年復刻版を利用)。「北陸道戦記」第四所収記事。

 突然、官軍の一つの主力部隊が宿陣することになった千住宿も、さまざまな準備のために混乱したようである。

 四月三日当日、総督高倉永〓(ひさし)の麾下(きか)、越前小浜藩兵などを主力とする一五〇〇名規模の北陸道軍が、中山道蕨宿から川口宿を経て、千住宿に向かった(上掲資料①)。川口からは荒川沿いの川口道を東に向かったと考えられるが、この道筋は通常の宿駅の継立ルートとは異なっており、特殊な継立であったことも異例であった。

※ 継立の根拠資料は「官軍御用伝馬入用割合帳」岩槻市・新井家文書(『岩槻市史』近世史料編Ⅳ地方史料・下)所収。および『蕨市史』などを参照。また、北陸道軍の規模は「北陸道御総督様御通輿ニ付人馬賃銭御賄書上帳」(『新編埼玉県史』資料編一五、埼玉県、一九八四年所収による)。


1868(慶応4)年4月1日~3日の状況
出典=『復古記』および綾瀬・金子家文書(鳥屋部孝氏・恭子氏蔵)
【千住宿と官軍の宿陣】
4/1 東山道軍宇都宮斥候隊の宿陣(翌日粕壁へ、3日越谷に戻り流山で近藤勇を捕縛)
4/3 北陸道軍(本隊・総督)、千住宿宿陣。以後、千住宿は北陸道軍の管轄下となる。

【北陸道軍のようす】北陸道先鋒総督兼鎮撫使
総督・副総督 総督:高倉永、副総督:四條隆謌
部隊構成

(1553人)

御総督様并御附:157人

若州様(若狭小浜藩兵):388人 酒井右京亮様(越前鞠山藩):15人

肥州様(肥後熊本藩兵):500人 芸州様(安芸広島藩兵):160人

御夫方:333人

慶応四年四月付「北陸道御総督様御通輿ニ付人馬賃銭御賄書上帳」(『埼玉県史』資料編15、近世6交通。埼玉県、1984年発行。311号文書「熊谷宿東山道総督府人馬調書上帳」に所収)。なお安芸広島藩兵には同藩の士庶混成の義勇兵「応変隊」が含まれる(棚網保司「不動院『芸州』供養塔について」、『足立史談』第190~194号、1983~4年)。

北陸道総督の通行経緯
日付 事項
4月1日 夜、熊谷宿泊
4月2日 熊谷宿発 → 大宮宿泊
4月3日 大宮宿発 → 浦和宿 → 蕨宿 → 川口宿(小休) → 千住宿泊
4月4日 総督、千住宿を発し浅草本願寺に入る。

出典=丸山擁成『近世宿駅の基礎的研究 第一』(吉川弘文館、1975年)第5章第2節所収「明治元年の宿助郷の動向」および「御伝馬御用留」などによる。

 千住宿では、この大部隊の宿営の準備に追われた。とりわけ夜具・布団が不足したため、北陸道総督府の会計方は、草加宿、越ヶ谷宿などへ夜具布団を千住宿に送るよう命令を出している(九〇頁上掲資料②)。また加助郷も触れられているが、千住宿の通例の助郷に止まらず下総香取郡なども含まれ、しかも郡単位の広範囲に触が出されている(九〇頁上掲資料③)。これも臨時の枠組であった。

 このように官軍は宿駅制を利用して進軍してきたのであるが、異例ずくめの方法がとられ、千住宿も機能を超えた宿泊や対応に追われたのである。


■北陸道総督千住宿陣記事

①「北陸道戦記」四月三日

○北征紀事ニ云、四月三日、千住ニ次ス。


②官軍宿陣触書写

一、今般北陸道御総督并御先鋒共、当千住駅御宿陣ニ付、夜具蒲団不足ニ付、別紙之通、急速取揃、当宿役人共迄可被差出候事、

             北陸道御総督附

    辰四月三日    会計方

                南部彦助

                    草加宿

                    其外問屋

                        名主

夜具蒲団五百通、草加宿同五百通、越ヶ谷宿大沢町、同弐百通、新宿町、銘々枕相添可差越候事、


③官軍北陸道総督宿陣触書写

         官

一、今般北陸道御先鋒□(ゝ)軍、総督府御用人夫差向入用ニ付、左之郡々割当、千住宿役人共より加助郷相触筈候間、相達触候節者、無滞可差出、尤其節は村役人附添可相勤、自然心得違之村方有之節、御用差支ニおゐては可為曲事候條、其旨可相心得事、

    北陸道御総督

        会計方

    辰四月四日 岡(「国」カ)枝岩太郎

          南部彦助

                  武州葛飾郡

                  武州埼玉郡

                  下総葛飾郡

                  同国印旛郡

                  同国相馬郡

                        役人江

典拠=①『復古記』第九冊、②③=「御伝馬御用留」