こうした治安状況の悪化をうけ、閏四月二日になると、大総督府は勝海舟に「江府鎮撫万端取締」を委任した。
※ 閏四月二日「大総督府委任状」(『勝海舟関係資料 文書の部』江戸東京博物館、二〇〇三年)による。
二月に旧幕臣たちが結成した彰義隊も、三月には独自に江戸の治安方を担いはじめていたが、大総督府の委任を勝が得たことで、正式に勝のもとで江戸の治安方を担うことになった。ちょうどこの頃、官軍のかなりの部分が北関東や房総方面で発生した幕府脱走軍との戦闘に出ていたことも、こうした旧幕臣の治安方委任につながっていた。旧幕臣による警備は好感をもって迎えられたようで、彰義隊にも関係した龍虎隊について次のような記録がある。
…略…以上の伺(龍虎隊による市中取締)に対し悉く許可となりしを以て、浅草榧(かやのき)寺を以て本屯所とせり、是より浅草の町民、初めて枕を高ふして安眠するに至れり、爰に於てか本所、深川、日本橋、千住等より追々町役人連署を以て、榧寺本屯所へ浅草同様取鎮方出願せり、依て順次人撰を以て、之に応じたるを以て、取鎮方の勢力日に月に盛なるに至り「(原文括弧書)此時は龍虎隊の名称を唱へずして専ら取鎮方と云へり」、人員凡て百七十二名に及べり…略…
※ 「龍虎隊の顛末」、『彰義隊戦史』(前掲)
彰義隊のうちの一つ龍虎隊が市中取締を行うこととなり、市中や千住などの町役人が取締を願ったことが記されている。