この閏四月二一日、彰義隊の屯所となっていた寛永寺では、執当の覚王院義観による反朝廷主戦論が唱えられた。同じ日に成立した奥羽列藩同盟(のち奥羽越列藩同盟)の来援なども期待し、彰義隊は実力行動で官軍を江戸から追い出そうと様々な行動に出た。官軍兵士の斬殺や、官軍記章(錦の布片で肩に付けていた)の奪取といった動きが江戸ではじまっていた。
五月に入っても、白河城(福島県白河)が官軍をたびたび撃退しており、越後の長岡藩も敵対するに至っていた。こうした奥羽越の前線の戦局が推移する中で、江戸で猛威を振るう彰義隊は、官軍にとって排除すべき存在となっていったのである。