戊辰戦争の戦乱が続いていた一八六八(慶応四)年七月一〇日、幕府代官から明治の新政府に支配地の引き継ぎが行われた。引き継いだのは元旗本の桑山効で、武蔵知県事という役職に就き、千住も武蔵知県事の支配下に入った。
この武蔵知県事の設置以後、明治前期には行政区画の変更がたびたび実施され、それに伴って千住地区の地名も大きく変化した時代である。
なお、同年一二月には、困窮民救済のために結成された報恩社の設立にかかわったことで知られる河瀬秀治(外衛)が、武蔵知県事に就任した(のち小菅県権知事、知事を歴任)。
明治初期の行政区画の変遷
戊辰戦争の戦乱が続いていた一八六八(慶応四)年七月一〇日、幕府代官から明治の新政府に支配地の引き継ぎが行われた。引き継いだのは元旗本の桑山効で、武蔵知県事という役職に就き、千住も武蔵知県事の支配下に入った。
この武蔵知県事の設置以後、明治前期には行政区画の変更がたびたび実施され、それに伴って千住地区の地名も大きく変化した時代である。
なお、同年一二月には、困窮民救済のために結成された報恩社の設立にかかわったことで知られる河瀬秀治(外衛)が、武蔵知県事に就任した(のち小菅県権知事、知事を歴任)。