北組・中組・南組の設置

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一八六九(明治二)年一月、武蔵知県事支配の地に小管県が設けられ、小菅(現葛飾区小菅、東京拘置所の場所)に県庁が置かれた。一八七一(明治四)年七月、廃藩置県の令の布告にともない、それまでの県と異なる新たな「県」が置かれることになり、従来の小管県も廃止されることとなった。


小菅県庁のあと 小菅県は1869(明治2)年に設置され、千住も管轄下に入った。県庁は小菅の御殿跡地にあった(現東京拘置所)

 しかし、九月小管県は千住宿内の名称を変更し、足立郡千住一丁目から五丁目の五か町を「千住北組」、掃部宿を「千住中組」とし、荒川南岸の小塚原・中村町を「千住南組」とした。