一九三二(昭和七)年五月、東京府下の五郡八二か町村が東京市に編入されることが決まり、市域は従来の一五区に加え、新たに足立区など二〇区が設けられ三五区となり、千住町は足立区の管轄下に入ることとなった。五郡を合わせた東京市の人口は二〇(大正九)年一一八万人、二五(大正一四)年二一〇万人と急激に増加し、三〇(昭和五)年には二九〇万人にも増大し、郊外の人口増と都市環境の悪化を浮き彫りにしたのである。
新足立区の人口は一二万七五〇七人、千住町は六万九〇八五人、区の人口の半分を占め、地方なら市制が布かれてもよいくらいの町であった。
一〇月一日、新しい東京市制を施行、足立区が発足し千住町の各大字の町は、千住を冠した単独の町名となった。