空襲の被害

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一九四五(昭和二〇)年三月一〇日東京の下町を焼き尽くした大空襲を始め、四月中旬から五月末にかけた大規模なものを含め、東京への空襲は九〇数回にも及んだ。焼失家屋八五万一一六六戸、死者一一万人とも言われ、東京区部の一万五八六七が焼失、区部面積の二八%にも及んだ。足立区内でも三月一〇日、四月一三日、五月一二日、同月二五日の空襲を主に、堤南、堤北を合わせた焼失戸数二万戸を超え、罹災者も一一万人余にも達したが、大部分は千住の地域で再三にわたって被害を被ったのである。

 この空襲で区役所、足立保健所、税務署を始め、区内の多くの小学校が焼失し、足立区は大打撃を受けた。区役所の焼失で千寿第一小学校が区役所の仮庁舎となった。区内では相次ぐ戦災によって罹災者は四散し、八月には区内の人口は、一四万二五〇〇人に落ち込んだのである。