明治維新直後の千住地区は江戸時代と同じく陸羽街道沿いの市街地とそれ以外の耕地部分からなりたっていた。一八七二(明治五)年の千住地区の物産を見ると別掲の一覧の通りで、基本的に江戸時代の様相から大幅な変化は見せていない。この頃の主要産物は農村的色彩が強く、製品についても工業立地が進む前の千住の産物であり、内職的、もしくは家内工業的な産物であったことがよく判る。
| 場所 | 種別 | 項目 |
|---|---|---|
| 千住宿北組 | 農産物 | 米、大麦、小麦、大豆、小豆、漬菜、茄子、番南瓜(とうなす)、冬瓜、枝豆、蘿蔔(らふく)(大根) |
| 製品 | 腹掛、足袋、下駄、駒下駄 | |
| 千住宿中組 | 農産物 | 米、大麦、小麦、大豆、小豆、漬菜、茄子 葱、莱菔(らいふく)(大根) |
| 製品 | 腹掛、股引、足袋、下駄、駒下駄 | |
| 弥五郎新田 | 農産物 | 米、大麦、粟、黍、大豆、小豆、越瓜、茄子、青芋(どだり)(里芋)、番南瓜(とうなす)、漬菜、莱菔(らいふく)(大根) |
| 柳原村 | 農産物 | 米、麦、大豆、小豆、小麦、秋菜、冬菜(小松菜)、細根莱菔(細根大根)、茄子、胡瓜、番南瓜(とうなす) |
1872年『東京府志料』(東京都、1961年)の物産の項を利用。
しかし、明治前半には商業、工業ともに近代化が始まり、産業面の様相は大きく変化していく。商業面で見ると江戸時代から成立していた千住市場が、一八七〇年代後半から規則等に基づく近代的な市場に脱皮してゆくとともに、新たな市場が設けられるなどの変化があった。工業面では一八八〇年代後半から徐々に近代工場の進出が始まり、隅田川沿岸などを中心に千住地区は新しく工場が林立する地域となり、千住は工場街へと変貌を遂げていった。いっぽう農業面では、江戸時代以来の稲作が中心であったが、牧畜業の進出に見られるように新たな変化も見られた。しかし、一九一〇年代にはじまった荒川放水路の建設は、千住の用水路が分断される結果となり、これ以後稲作は衰退、別掲の一覧に見られるような農村と根本的に異なる姿へと変貌していった。一九三一(昭和六)年に千住のむさし新聞社が発行した『千住総覧』は、こうした変化について「吾が千住町の古の面影は、明治維新を機として、蝉の抜け殻の様に置き去られ全く新しい千住町が生まれて来た。」と述べている。ここでは、このように明治以後、変貌を遂げた千住の産業について、商業面と工業面それぞれから見ていく。