この市場に大きな打撃を与えたのが一八八二(明治十五)年三月の千住中組大火であった。当時の火事のようすについて、当時の新聞が次のように伝えている。
一昨夜(三月十三日)十時三十分頃、千住中組より火起りたり。折柄東南の風激しく殊に同所は青物市場の藁葺屋根多ければ、見る間に両側とも一円の火となりて五十七戸を延焼し四戸を半焼にして、昨日(十二日)午前一時頃漸く鎮火せり。此火元は同所の鰻屋と其隣家の庇合より出でたるにて、未だに争論中なりと云ふ。
※「東京日日新聞」明治十五年三月十五日号(竹内編『新聞・官報』一五一六号資料)
この火事によって市場は打撃を受けたが、直後に復活したようで、「火災に罹り大半は烏有に帰したりしが直ちに復活」したと記憶されている(前掲『千住総覧』)※。
※ 『千住総覧』では千住中組大火を一八八一年一月としているが、同時代資料の新聞によりここでは一八八二年三月とする。