工場の設立

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 明治の初期には、政府は頻りに欧米の工業を移植し、模範工場を建設して各種工業の振興を企図した。また機械を輸入して民間に貸し付け、あるいは年賦によって払下げ、綿糸紡績等の新工業の発展を奨励した。ここに初めて近代的工業が、民間の手で経営される道が開かれた。

 現隅田川(当時は荒川)沿岸には水路網という江戸時代の遺産を活かす形で、江東方面を中心に工場の建設が進められ、やがて千住にも様々な形で変革の波が寄せてくることになった。

 明治前期の工場の設立状況を概観すると、主として現隅田川沿岸から立地が始まっていったことが判る。まず大規模な工場としては八九(明治二二)年五月、大字千住三丁目堤外牛田耕地、綾瀬川左岸の地は、南葛飾郡隅田村に開業した鐘ヶ淵紡績の敷地に取り込まれ、工場用地となったのが早い事例に属する。

 また一八九〇年代末から一九〇〇年代前半という明治末期には牛田耕地や東耕地など周辺耕地部分に、多くの工場が設立されたほか、倉庫業も当該期から発展を見せていった。