江戸時代からの伝統

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 市場の概要や取扱荷を見ていくと、千住市場が東京の流通の一翼を担い、国内はもとより海外の産物を扱っていたことが記録されている。こうした広域の産物を扱う特徴は、江戸時代にも見出すことができ(五六頁参照)、千住市場の伝統的な特徴であった。このことについて、一九三一年の『千住総覧』(前掲)では次のように触れている。

 誰でも今の千住町を眺めて武士階級の闊歩して居た昔の本町(千住町)の様子を忍ぶことは困難であろう。しかしながら、全部が全部まで明治維新前とそれ以後とが変わってしまっては居ない。やはり千住町は今も昔も千住町であって決して別個なものではありえない、何かしら昔とのつながりが前言を繰り返せば封建的なる残存物が今にまで存在して居るに相違ない。そしてその残存物として代表的なものに、青物市場(ヤッチャバ)があり、千住遊郭(クルワ)がある。

 時の流れも本町の青物市場を流し去る訳には行かなかった。公娼廃止令の発布(明治五年)も、本町の遊郭を除く訳には行かなかった。

…略…

 それは何故か? いうまでもなく、青物市場と遊郭だけは、その物質的基礎が除去されずに居たからである。現在、両者から得る収入の額は本町収入の額の莫大なる部分を占めているとのことである。

 封建的商取引の典型的な形態は

 生産者―問屋―商人―消費者

であり、右の中問屋が最も勢力を有して居った。

しこうして資本主義的商取引の形態は、

 生産者―商人―消費者

 と、右の如き三つの段階を得るのが普通である。しかるに千住の青物市場では、今でもなお問屋が根強い存在を示して、封建時代そのままの商取引を行っている。誠に面白い現象ではあるまいか。

※ 『千住総覧』(前掲)所収「青物市場及千住遊郭の歴史的意義」より

 ここで述べられているとおり当該期の千住市場は、江戸時代から続く伝統を保持した場所と認識されていた。

 要約すれば千住市場は江戸と東京の流通の一翼を担いつつ、江戸時代から昭和戦前に至るまで繁栄を続けていた場所と評価できよう。