つづいて、こうした「工業地」として千住地区が発展した状況について、工場の設立について触れた一九二六年版の『南足立郡誌』によって概観してみたい。
ここに掲げられた工場は同書が取り上げた千住地区の代表的な工場である。本地区での工場の成立は一八八九年から始まっているが(前掲「明治の産業」参照)、その後の変遷で、一九二六年頃には、一覧の工場群が登場していたのである。
所在地を見ると、その多くがかつての耕地部分に立地しており、まとまった工場敷地が入手できるところに進出してきたことが判る。とりわけ目に付くのが千住中組の牛田と注記された場所で、ここは現在おおむね千住東に該当する地域である。また橋戸や元宿、堤外の地名も見えるが、これらの場所もおおむね市街地化が進んでいなかった地域である。
加えて一部の例外を除いて鉄道線路の近くに立地しており、引き込み線を設置していた工場も知られていることから、鉄道輸送との関連が大きかったこともうかがえる。
この一九二六年段階ののちも工場の設立は続き、三四(昭和九)年九月、千住関屋町に日本コンクリートポールが設立、一一月には東京製鐵が設立されたことなど、千住の町は工場街としての性格を強くしていった。
| 名称 | 所在地 | 設立年代 | 製造品および備考 |
|---|---|---|---|
| 向山器械製作所 | 千住中組(堤外) | 1889(明治22)年 | 鉄工業。「軍用担架ブレースローハイドピニオンピッカー型等」の製造。 |
| 田辺製薬所 | 千住中組(牛田) | 1898(明治31)年 | 製剤(アンモニヤ、酸類) |
| 東京織物株式会社 | 千住三丁目(牛田) | 1902(明治35)年 | 綿織物、染色整理、綿朱子、色綿朱子、哂綿朱子、綿経朱子 |
| 日本製靴株式会社 | 千住中組(橋戸) | 1902(明治35)年 | 製靴 |
| 下野製紙株式会社工場 | 千住中組(牛田) | 1905(明治38)年 | 浅草紙 |
| 日本皮革株式会社 | 千住中組(橋戸) | 1907(明治40)年 | 皮革、皮具、布具、麻具の調皮製造 |
| 荻野製綿所 | 千住四丁目(元宿) | 1909(明治42)年 | 製綿 |
| 石黒製飴所 | 千住中組(牛田) | 1910(明治43)年 | 製飴 |
| 細沼貴金属工業 株式会社千住工場 |
千住三丁目(牛田) | 1911(明治44)年 | 旧名「金工舎」。貴金属、装飾具 |
| 帝国製鋼株式会社 | 千住中組(牛田) | 1913(大正2)年 | 麻鋼 |
| 千代田製紙株式会社 | 千住中組(牛田) | 1914(大正3)年 | 製紙(呉服紙、包紙等) |
| 丸初製紙株式会社 | 千住中組(牛田) | 1914(大正3)年 | 板紙、中入紙(地券紙)。1916年版 |
| 稲見製鋼千住工場 | 千住五丁目 | 1917(大正6)年 | 麻鋼 |
| 東京ゴム工業株式会社 | 綾瀬村弥五郎新田 | 1917(大正6)年 | 自転車タイヤ等の生産 のちの昭和ゴム。現日ノ出町団地 |
| 株式会社斎藤直吉商店東京工場 | 千住中組(橋戸) | 1918(大正7)年 | 屑絲積撰および雑巾 |
| 鐘ヶ淵製紙株式会社 | 千住三丁目(牛田) | 1918(大正7)年 | 製紙(ボール紙、写真台紙) |
| 日本絹絨紡績株式会社 | 千住二丁目(牛田) | 1919(大正8)年 | 毛絲紡績加工、毛布絲、メルトン絲、メリヤス絲 |
| 日本建築紙工株式会社第二工場 | 千住四丁目(元宿) | 1920(大正9)年 | 便利瓦 |
| 千代田織布株式会社 | 千住二丁目 | 1921(大正10)年 | 織布 |
出典=基本的に『南足立郡誌』(南足立郡教育会、1926年)掲載の工場による。1916年の『南足立郡誌』(南足立郡役所)からの項目は、備考に「1916年版」とした。項目は「会社工場」を利用し、製造業以外の会社については、前掲の会社一覧に掲載し、本一覧では製造業の会社を取り上げた。
例外=製造業のうち、河合白酒醸造工場については商店の一覧に掲載し、本一覧では省略した。