一九一三(大正二)年二月、内務省直轄による荒川放水路開削工事が開始された。この年には南足立郡内の土地の買収はほぼ終わったようだ。千住町だけでも二〇二人の土地所有者から二一〇〇筆余、約八〇町歩の土地が買収され、二七三戸の建物が移転された。他方、東京府会は一九(大正八)年一二月、荒川放水路に架橋する千住新橋を、当初計画の木橋から鉄橋に変更するとして、既定予算四五万七二一一円を一〇六万四三六円に変更、続いて二一(大正一〇)年四月、荒川放水路に西新井橋・堀切橋・堀切小橋の架橋工事が、東京府によって開始され、二二(大正一一)年三月には西新井橋が竣工、さらに二三(大正一二)年一二月、東武鉄道の新鉄橋が竣工した。
このように放水路の建設に伴う諸工事が進む中、二三(大正一二)年九月一七日には大雨による荒川の出水で、放水路に始めて洪水の一部を誘導、開削工事着手以来一〇年にして、荒川の水流を分離誘導することに成功した。
次いで二四(大正一三)年三月、堀切橋が竣工し、六月には国道四号線と共に完成が急がれていた、当時放水路唯一の鉄橋の千住新橋も竣工し、おおむね放水路建設に伴う千住地区周辺の橋梁が完成した。
そして二四(大正一三)年九月、大雨による荒川の大出水に際し、放水路に計画どおり洪水を誘導し通水させた。その後、一〇月一二日、荒川放水路がほぼ完成し、盛大な通水式が行われた。
三〇(昭和五)年五月、一一(明治四四)年土地の買収から始まった荒川改修工事は、約二〇年の歳月を経て全工事が完成した。当初予算一五一〇万円を大きく上回る、総計二九一四万四〇〇〇円であった。