昭和戦前に整備された町の道路

124 ~ 125

現在、千住龍田町交差点から西新井橋南詰の千住桜木町交差点までの墨堤通りの整備が開始されたのは、昭和戦前の南足立郡時代の末期であった。三二(昭和七)年二月、内務省は東京都市計画道路補助第六六号線、龍田町より西新井橋南詰めに至る間の熊谷堤の改修工事を告示し工事に着手したが、この工事で堤の路面上部は二m余削り取られたという。完成したのは一九三四(昭和九)年の五月であった。

 この墨堤通り北部の工事に続いて、三三(昭和八)年一一月、旧道から国道四号線に至る現駅前通り、二三四・九mが完成し供用に付され、同月尾竹橋と共に現尾竹橋から現千住桜木町交差点の熊谷堤に至る約五〇〇mの道路も完成して供用に付されている。なお、この駅前通りの延長上に位置する現在の国道四号線の千住二丁目交差点から現千住龍田町交差点(かつての熊谷堤)に至る四七三mの道路が三六(昭和一一)年一二月に完成した。


1936(昭和11)年に完成した現国道四号線千住二丁目交差点から墨堤通り千住龍田町交差点にいたる道路。写真は1954年頃。(『足立写真名鑑』1954年)

 一九四二(昭和一七)年五月、千住五丁目地内国道四号線から旧道水戸街道分岐に至る都市計画足立区道路第二一号線の一部二九九・四m(通称板垣道路)が完成し、供用に付された。

 このように、昭和戦前までの段階で、千住の宿場地区や西部地区で見られる主要な道路が次々と整備されたのである。