三六(昭和一一)年三月、常磐線以東の千住関屋町地内一三・五ヘクタールに、「千住関屋町土地区画整理組合」の設立が認可され、事業を開始することになった。足立区内最初の土地区画整理組合である。
一方で三七(昭和一二)年一二月、荒川放水路以南の足立区内に、内務省により東京都市計画足立区道路二五路線が決定された。千住地区内には、その内の二一路線が決定された(前頁上段掲載図参照)。
この道路網は、土地区画整理による実現を目的としたが、防空法による防火緩衝地帯としても計画したとも言われる。この計画も、千住関屋町の土地区画整理が実施された場所に限り実現したが、戦後の都市計画の見直しで、大部分は廃止された。
そして四一(昭和一六)年七月、千住関屋町土地区画整理組合の換地処分が、東京府により認可され、事業は実質的に完了したのである。
※ 千住関屋町土地区画整理組合の解散は五一(昭和二六)年一〇月。