三八(昭和一三)年四月、内務省は保健・防空・防火上のため、緑地の維持保存を図り、緑地および公園計画の根本を指示した。防空法の制定で緑地計画の目的が変わってきたのであった。
四〇(昭和一五)年三月、内務省は東京都市計画で舎人ほか五か所の防空大緑地を決定したが、四月都市計画法を改正し、公園に加えて防空を目的とした緑地を、都市計画施設として制度化した。六月、内務省は東京都市計画公園として、千住旭公園〇・三三ヘクタールの設置を決定し、その造成を指令した。九月、防空法の改正で建築禁止も可能な防空空地の制度が新設され、内務省は東京都市計画空地地区を指定した。
※ 四二(昭和一七)年一月、東京の六大緑地の内側に一四か所の防空緑地(足立区内は西新井)が計画決定され、更に翌年八月には八か所の防空緑地(足立区内は東淵江、現東綾瀬公園)が追加決定されている。
四三(昭和一八)年二月、内務省は千住桜木町に千住桜木公園一・六五ヘクタールを決定し、五月には北千住公園の面積を、二・八七ヘクタールから二・六四ヘクタールに変更した。
またこの年、内務省は、東京緑地計画を防空空地計画と改め、防空空地帯および防空空地を定めた。千住地区には七か所の防空空地が決定されたが、内務省決定による東京都市計画公園を始めとした公園であった。
このように戦前の公園は当初の市街地化に伴う公園整備から防空対策の手段へと変化していったのである。