問屋場増設

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戊辰戦争下の一八六八(慶応四)年三月、明治新政府の官軍が江戸に到着した後も、旧幕府時代の宿駅制はそのまま維持されていた。

 千住の問屋場機能も維持されており、問屋四名以下の役人にも変化はなかった※。

※ 「御伝馬御用留」(抄出、千住旧在・浅香家文書写、荒川ふるさと文化館蔵筆写原稿)

 同年五月一五日、上野戦争に勝利した官軍は、関東北部や東北方面へ追討出兵を行ったため、千住宿と助郷諸村は多くの人馬継立を行った。また会津戦争の終了後は帰還する官軍の通行が一月頃から集中したため、千住宿では問屋場を二か所増設し(仮問屋場の設置)、宿役人も町から四三名がこれらの問屋場に詰めて対応した。