千住駅長と伝馬所役人の設置

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駅法改正後の一八六九年九月、小菅県より新しい制度に基づいた千住駅長が任命された。これは八月段階まで元問屋、郷中惣代という肩書きで元の問屋場役人が業務を続けていたのを改正するように千住宿問屋場役人からの願書の聞き届けという形で行われた。

 初代の千住駅長は二名で、元問屋杢左衛門と郷中惣代兼興野村(現興野)名主平蔵が就任した。そして翌年の二月までには他の伝馬所役人が任命されたが、改正仕法書が役人を、宿在住者に限らず選任する、としていることをうけ、勘定方手代に長左衛門新田(現谷中)の平左衛門が、人馬方年寄に花又村(現花畑)の三十郎が加わるなど、千住宿内のほか、助郷村々から伝馬所役人計二四名(駅長二名を含める)が登用された。


千住駅伝馬所勘定方御用箱(高尾家文書・足立区立博土物館蔵)


千住伝馬所の印鑑(高尾家文書・足立区立博土物館蔵)

伝馬所役人と構成員変遷
伝馬所役職名 明治2年(1869)
9/~
明治3 (1870)
2 /13~
千住駅長 2名 2名
勘定方 年寄 2名 1名
手代 3名 2名
人馬方 年寄 2名 2名
手代 7名 4名
改所兼

宿割方

年寄 2名 2名
手代 6名 4名
合計 24名 17名

典拠:『浅香家文書』「御伝馬御用留(抄出)」
(荒川ふるさと文化館資料)をもとに作成