一八七一(明治四)年八月、千住駅長が職務が多いことから伝馬所役人の増員を小菅県に願った。これをうけた小菅県は千住駅伝馬所を小菅県の職制に組み込んで伝馬方分課とし、そのもとに戸長を取締役に、組頭を次席とするなど従来の機構を取り込んだ。この伝馬所の再改正のとき「伝馬所役員之者、駅村に対し不平の取り計らいこれ有り候わば、その時々取締役の者、御申し出候」との廻状(かいじょう)が出されていることから、助郷村々と千住駅の対立があったと考えられる。
伝馬所の再改正
一八七一(明治四)年八月、千住駅長が職務が多いことから伝馬所役人の増員を小菅県に願った。これをうけた小菅県は千住駅伝馬所を小菅県の職制に組み込んで伝馬方分課とし、そのもとに戸長を取締役に、組頭を次席とするなど従来の機構を取り込んだ。この伝馬所の再改正のとき「伝馬所役員之者、駅村に対し不平の取り計らいこれ有り候わば、その時々取締役の者、御申し出候」との廻状(かいじょう)が出されていることから、助郷村々と千住駅の対立があったと考えられる。