千住では前年から設立準備を進めていた陸運会社が宿駅制の業務を引き継いだと考えられるが、同社の資料が無く、今日では詳細は不明である。ちなみに、この時、政府主導で設置された陸運会社はいずれも営業不振で、一八七五(明治八)年五月には内務省の命によって解散した。
このように江戸時代以来、幕府や政府の主導によって維持されていた宿駅制や駅法による人馬継立制度は、いずれも明治の初年に解体していった。このあと陸上交通は元飛脚問屋や運送業によって替わられていった。輸送方法も、徒歩や馬に限らず、人力車などが登場、鉄道開通以後は陸上交通の構造そのものが激変していくこととなる。