道路の改称

132 ~ 132

 宿駅制で幕府が定めた五街道の呼称、日光道中、水戸佐倉道は、明治の初期に宿駅制廃止と共に変更が行われた。

 まず一八七一(明治四)年四月、旧日光道中は陸羽街道とし、水戸佐倉道を含んだ千住より水戸を経て陸前岩沼に至る道を、陸前沿海の官道として「浜街道」と称すると定められた。

 その後も制度の変更は続き、七三(明治六)年八月大蔵省は河港道路修築規則を達し、川・港・道路の等級を定めた。陸羽街道は一等道路、浜街道・佐倉道は二等道路とされた。この制度もさらに変更されて七六(明治九)年に、道路は国道・府県道・里道に分け、それぞれを一等から三等に分類。東京府は翌七七(明治一〇)年一月陸羽街道を一等国道、陸前浜街道・佐倉道を二等国道とした。

 このように制度は変更されたが、現足立区域の実態としては、江戸時代からの道がそのまま用いられており、制度、名称の変更に過ぎなかった。