江戸時代以来、江戸との交通には舟運も利用されていたが、明治に入り川蒸気が登場するようになった。一八七五(明治八)年六月には千住大橋と両国橋間に川蒸気船が開通、運賃は六銭であった(竹内秀夫編『新聞・官報』〇八一六号資料)。その後、内国通運会社が蛎殻(かきがら)町から千住を経て戸田に至る路線を開通した(同一〇二二号資料)。
川蒸気はその後も路線の充実があり、多くの利用者を得ていった。俗に一銭蒸気という言葉があり、これは運賃が一銭であることに因む。一般的には一八八五(明治一八)年で、鉄道馬車にならって区間運賃を一銭としたことが始まりだが、この頃の千住までの料金(吾妻橋~千住大橋間)は二銭であった(同一八一一〇号、一八一一七号資料)。