一八七六年の休息

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明治天皇は、明治前期に日本各地を訪れたが、一八七六(明治九)年六月二日に約五〇日間にわたる東北巡幸に出発するとき、千住は見送りの場所となった。赤坂仮皇居(前年の火事で皇居が一時移転していた)から千住までの道路沿いには近衛兵や鎮台兵が整列、警備に当たり、黒門前から千住宿北組までは海軍銃隊(海軍兵四小隊)が警備に当たった。さらに、千住に天皇が到着するときは楽隊による演奏が花を添えたという(竹内編 『新聞・官報』〇九一七~〇九一八号資料)。

 皇后と木戸孝允、当時宮内省につとめていた山岡鉄舟らの重臣たちも千住まで見送りのため同道し、休息した。

 休息所となったのは、かつての本陣の向かいにあった横尾龍助邸(貸座敷中田屋の経営者)で、天皇は正午頃到着し、宿内の魚徳から出された昼食をとり、二時過ぎに出発した(前掲渡辺「明治に於ける明治天皇史蹟」)。

 皇后の見送りは話題を呼び、当時の新聞にも別掲の記事が掲載されている。なお帰路は船を利用して横浜に到着している。


■一八七六(明治九)年東北巡幸に出発する明治天皇見送りの皇后

「東京日日新聞」六月三日号(〇九一七)

 午後二時十分の御発輦にて草加駅に向わせ給うに、皇后宮は親しく御車の側まで歩ませ給い、聖上の御乗車の折に御傘を横にし御別れを告げさせ給いし御有様は何となく拝見せし賤の女までも涙を浮めたりき。ただし、千住よりは御道中のために引かせられし蓋いある御車に召させられ静々と進ませ給う。皇后宮はしばしが程も御跡を見送りたまい、再び御小休所に入らせられ、二時三十分に還啓と仰出され…略…

「東京曙新聞」六月三日号(〇九一八)

斯くて二時三十分頃、皇后宮は御馬車にめさせられ、山岡大丞始め宮内省の官員方供奉せられて還御其他見送りの方々も引続て帰られました。横尾龍助より、皇后宮へ花菖蒲、姫百合の花を献上せしに、車におもたせになりました。…略…

※ 出典=竹内秀夫編『新聞・官報』、新聞名下の( )内は、同書の資料号数