次に明治天皇が千住を訪れたのは一八八一(明治一四)年の巡幸の時で、この時は往路、復路ともに千住を利用した。七月三〇日に、出発し昼に千住に到着、千寿小学校と前回と同じ横尾邸が休息所となった。この時の様子について、当時千住に住んでいた小金井喜美子(森鴎外実妹)は次のように記している。
明治天皇の東北御巡幸の時は、千住方面から御出発でした。広くもない往来は、朝の内から厳重な警戒です。千住まで皇后陛下の御見送りがありました。それで学校はお休みだったのでしょう、私は通りへ出て、橘井堂医院の大きな招牌の蔭から覗いて見ました。そこらの人たちが並んでいます。赤筋の這入った服の騎兵が、鎗を立てて御馬車の前後を警固して行きます。騎兵の人々に遮られて、よく拝されません。「やがて皇后陛下の御馬車が近づきました。折よく辺りに人もいませんでしたので、御馬車の中も幾分見えました。御すべらかしのお髪、白衿にお襠、それらがちらと目の前を過ぎました。御陪乗の人はよく見えません。続くお馬車に、やはり御すべらかしが二人乗っていられました。それからまだ次々と御供が続きます。御小休所は三丁目の中田屋という、北組第一の妓楼の本宅で、店とはすっかり別になっていて、大層立派な建築のように聞きました。
※ 前掲、小金井『鴎外の思い出』所収「薬師様の縁日」
明治天皇の来訪で、千住の町の人出が多かったことがうかがえる記事である。また、この時の重臣の休憩場所などについては、次のような記事もある。
明治十三四年の頃、明治天皇奥州御巡幸の際、中田屋へ御休息相成り、侍従職並に三條公、木戸公はつち屋、其の他の高官ハ各貸座敷にて御休息相成し事あり。
註 木戸公は当家(二丁目山崎家)へ休息せらる。六代忠蔵幼少の頃、給仕に出でたりと。その記憶に木戸公ハ小柄にして色黒く目のするどく恐しき目の人なり。父に当家の御子息かと言葉ありしと…孝也(山崎孝也)。
※ 前掲山崎「大正八年南北千住町今昔見聞実記」
このように諸書に記述されたように、明治天皇の来訪は、多くの人出と相まって千住の人々の記憶に刻まれたようである。