四号国道の名は一九二〇(大正九)年四月、道路法(大正八年四月公布)により内務省によって付けられた道路の名称で、東京日本橋より千住・宇都宮・仙台などを経由して東北地方に至る元・陸羽街道(奥州街道)である。
陸羽街道は一八七三(明治六)年八月河港道路の等級を定めたとき一等道路とされた。七六(明治九)年規則を改め、道路を国道・府県道・里道に分け、それぞれを一等から三等に分類したが、東京府は府内国道の等級を決めた時も、陸羽街道は一等国道に指定された。八五(明治一八)年国道の等級が廃止され、国道の幅員は七間(一二・七二m)以上と定められた。
府下の国道の内、四国道(京浜国道・陸羽街道・中山道・千葉街道)は古来から政治・経済交通の要路であった。四国道沿道の発達は著しいが、道路の機能は極めて悪かった。第一次世界大戦の勃発頃より都市を中心とする自動車の普及は凄まじく、従来の道路形態では高速重量車両の交通には順応できなくなってきた。一九一八(大正七)年、東京府は既定整備事業としてこの四国道の整備改修に着手し、陸羽街道も翌年度から着手されることになった。
一九(大正八)年九月、東京府参事会は、「沿線ノ発達近時急激ニシテ交通愈々頻繁ヲ加エタル等、現在竝将来ノ情勢ニ鑑ミ、既定幅員ノ拡張ヲ要スルノミナラズ、ソノ工法ノ変更等ヲ要スル」と改修工事の議案を可決、一二月の通常府会で可決された。古来からの千住宿内の陸羽街道の幅員四間(七・二八m)では対応できないため、先に決められた国道の幅員七間(一二・七二m)以上を確保するよう拡幅を図ったのである。