千住大橋・国道の拡幅

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 二五(大正一四)年一二月、東京府会は「市内電車軌道敷設ノ関係上、幅員拡張ヲ必要トスルタメ工事期間ヲ延長スル」と千住大橋の架橋工事期間延長を可決した。千住大橋南詰めには一二(大正元)年一二月、蔵前から菊屋橋・三ノ輪を経由して、既に市内電車が乗り入れていた。

 二七(昭和二)年三月千住大橋北詰めから千住新橋までの、新四号国道の新設工事はほぼ完成された。この工費一〇〇万二五二一円と言われる。

 八月、内務省は東京都市計画で郊外に幹線放射道路、幹線環状道路及び補助道路の新設・改修を告示した。四号国道は幹線放射道路一二号として、このとき決定された一六路線の一つである。この内務省の計画で、四号国道は千住新橋北詰めより埼玉県界の水神橋まで新設されることになった。東京府はこれを機に、最も新設の急を要する路線として、二七年度から着手する計画を立てたが、実際に着手したのは四年後で、内務省による直轄工事施工であった。

 千住大橋北詰めより千住新橋北詰めに至る四号国道の完成に伴い、九月、東京府は新四号国道路線の変更とその供用の開始を告示した。

 新路線は、千住大橋から千住町の市街地を迂回して千住新橋を越え、現・梅田(元八千代町)交差点から元東武鉄道の軌道敷を通り、梅田六丁目先足立梅田郵便局前で従来の陸羽街道に合流し、埼玉県界水神橋に至る路線に変更された。