千住馬車鉄道

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 一八八九(明治二二)年六月馬車鉄道敷設を出願し、九〇(明治二三)年一一月六日軌道敷設の認可を受け、二一日千住馬車鉄道会社を設立した。浅草広小路及び上野広小路から普通の馬車で南足立郡千住町茶釜橋(現・千住新橋付近)に到り、同所からは埼玉県北足立郡草加町、南埼玉郡越谷町、粕壁を経て北葛飾郡幸手町まで馬車鉄道を敷設し、運輸業を営むとした。

 一八九三(明治二六)年二月茶釜橋より越谷町までの旅客運輸を開始し、六月には越谷・粕壁間に延長した。粕壁・幸手間は、計画を変更し普通乗合馬車で営業を開始した。別に浅草・千住間にも普通乗合馬車を運行し、浅草から幸手まで一貫した輸送ができるようにした。しかし、貨客営業収入の漸減や経費の激増に伴って営業成績は悪化するばかりのため、一八九七(明治三〇)年六月三〇日全線で営業を廃止し、一九〇〇(明治三三)年二月会社は解散した。


千住馬車鉄道の車台図(『写真で見る東武鉄道 80年明治、大正、昭和三代の変遷』より東武鉄道(株)提供)


千住馬車鉄道の軌道(1895〈明治28〉年 現草加市役所付近 草加市役所蔵)