常磐線

140 ~ 140

 日本鉄道株式会社は一八八一(明治一四)年八月仮免許状を収得し、一一月特許条約書を下付された私設鉄道で、常磐線は上野・熊谷間(現・上越・東北本線)、赤羽・品川間(現・山手線)に続き、この会社が三番目に計画・着手した路線である。

 上野より田端・三河島・南千住・北千住・金町・松戸を経て土浦までの土浦線と、田端・三河島・隅田川(貨物駅)の隅田川線で、いずれも一八九六(明治二九)年一二月二五日に開通し、千住町には「北千住停車場」が設置された。九八(明治三一)年水戸・平・原ノ町を経、東北本線岩沼に至る三四三・一kmが全通した。当時は土浦線・磐城線に分かれていたが,一九〇一(明治三八)年常磐海岸線(田端・岩沼)と改称した。〇五(明治三八)年四月日暮里・三河島間が開通し、これまでの田端経由から直接三河島を経由する路線に変更された。

 一九〇六(明治三九)年三月三一日法律第一七号をもって「鉄道国有法」が公布され、同年一一月この路線も政府によって買収され、国有鉄道に帰した。このときに「常陸」・「磐城」の頭文字をとって「常磐線」と改称した。

 大正時代に入り、掘削の始まった荒川放水路内に支障となる同線路は、一八(大正七)年放水路を跨(また)ぐ新鉄橋の建設に着手、二三(大正一二)年に竣工したが、このときに鉄橋に取り付ける線路変更工事が行われ、北千住駅から線路は東側に移された。