巣兆は、文化文政の江戸文化華やかなりしころ千住宿はずれの関屋の里に住み、俳画に長じた江戸三大家に数えられた俳諧師である。
一七六一(宝暦一一)年正月、書家山本竜斎の子として江戸日本橋本石町に生まれた。父が白井鳥酔門下で俳句を楽しんだので影響され、俳句に親しみ加舎白雄の門に入り、その八弟子といわれた。寛政の初め藤沢家の養子となり、千住関屋に住む。
氏姓を建部と名乗り、名を英親、字は族父、巣兆、菜翁、秋香庵と号した。夏目成美・鈴木道彦とともに江戸俳諧三大家と言われるようになり、亀田鵬斎・酒井抱一など江戸一流の文人墨客と親交があり、絵を初め雪舟流を称する桜井雪館に、後に大和絵の住吉内記に学んで一境地を開いた。洒脱で機知に富んだ俳画は谷文晁らの文人画に並び評されている。
千住にあっては、月並み俳句の点者や俳画、生け花の指南で生活していたと思われ、巣兆を慕って千住に住む者もあり、成美、道彦、士郎、一茶、乙二等と交流をもちつつ、多くの句集などを秋香庵から刊行し、俳諧集団、千住連の形成に大きな影響を与えたと考えられている。
著作に『一鐘集』『徳万蔵』『せき屋でう』『吉祥福天女』『老が染飯』『仙都紀行』『うさぎむま』『小がさはら』『木実あはせ』等、また、没後には句集『曽波可理』追善集『星の林』『谷箒集』がある。一八一四(文化一一)年一一月一七日に享年五四歳で没し、墓は浅草北寺町の日輪寺にある。