梅里翁碑と同じく源長寺に、一啓斎路川の辞世の句「夏の野に火は消ながら月夜かな」の碑石の裏に事績が刻まれている。碑文によると、路川は諱(いみな)は和隆、字(あざな)は子煥、姓(かばね)は石垣、一啓斎、路川子と号し、駿州鞠子の人という。
俳句をよくし建部巣兆と親しい漢学者であった。巣兆との交流について「秋香庵と相知ること最も厚し」と記している。路川の暮らしぶりは「清素、自楽、書法を教え句読を授くることを以て業とす」と言う。彼は「文事を好」み、「俳諧」を嗜んだ。五〇歳の時、千住宿に住み、私塾を開いて教育にあたったが、七〇歳で一八一三(文化一〇)年六月一七日に逝去した。