高陽闘飲図巻

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当日の酒合戦の様子は「高陽闘飲図巻」にまとめられている。同書は一八一六(文化一三)年以降に成立したと推定される絵巻である。

※ 本項は特に断りのない限り『千住酒合戦と江戸の文人展』(郷土博物館、一九八七年)による。なお「高陽闘飲図巻」については関忠夫「高陽闘飲図巻・雑考」(同書)による。

 図巻の構成は鵬斎の撰文による序文(「高陽闘飲序」)と、太田南畝(蜀山人)による「後水鳥記(ごすいちょうき)」、詩仏の「題酒戦図」、寛斎の跋文から構成されている。このうち「後水鳥記」は、酒合戦のようすを詳細に伝えた記事であるが、太田南畝(蜀山人(しょくさんじん))が当日の臨席記録風に記す形をとっている。南畝は、酒合戦には臨席しておらず、後日に主催者側から報告をうけ執筆している(揖斐高「太田南畝」、前掲『千住酒合戦と江戸の文人展』所収)。そして翌々年の一八一七(文化一四)年五月二五日に、源長寺で披露されたことも記録されている(前掲、関「高陽闘飲図巻・雑考」)。本資料は写本が数多く成立し、今日に伝えられている(別掲資料参照)。