「後水鳥記」によると、会場となった中屋六右衛門方では、門前には
不許悪客[下戸/理屈]入庵門
と記した看板を掲げ、室内の賓客の席に紅の毛氈を敷き、青竹で区切って会場をしつらえた。肴として、からすみ、花塩、さざれ梅などが用意された。酒戦に用いられる盃は、白木の台の上に載せられた。「後水鳥記」や「酒合戦番付」によると、次の五合から三升入りの六種類の盃が用いられたようである。
江島杯 五合入 鎌倉盃 七合入
宮島杯 一升入 万寿無疆盃 一升五合入
緑毛亀盃 二升五合入 丹頂鶴盃 三升入
※ ここでは、「後水鳥記」の記載による。「水鳥記のさだ」など資料によって盃の名称と容量に差異がある。
こうした席に次々に参加者が表れた。「水鳥記のさだ」には、千住掃部宿の人出四升五合を飲んだ市兵衛や、勧進元で二升五合を飲んだ千住掃部宿の鮒屋与兵衛をはじめ、夫婦で参加した同じ千住掃部宿の天満屋などが記されている。こうした千住宿の人々のみならず、丹頂鶴盃以外の五つの盃を飲み干した会津の旅人河田某、四升を飲み干した江戸馬喰町の大坂屋長兵衛など十九名が書き上げられている。千住宿掃部宿の米商人、松勘(まつかん)は全ての盃を飲み干したという。のちに版行された番付では、大関、関脇、小結とランク付けされ、酒合戦という飲み比べの雰囲気を今に伝えている。