南足立郡医となった父静男

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千住と林太郎の関係が生まれたのは、父で医者だった静男の医業が要因であった。林太郎は父とともに明治五(一八七二)年に生国の石見国鹿足郡(かのあしぐん)津和野(現島根県鹿足郡津和野町)から上京し、小梅村(現墨田区向島)に住んだ。その後、林太郎が東京医学校(のちの東京大学医学部)に入り、寄宿舎に入った翌一八七七(明治一〇)年六月七日、父の静男が千住の区医出張所の管理を東京府から命じられた。

 一八七九(明治一二)年になると静男は、南足立郡医を命じられ、千住一丁目の岡田紋次郎宅(現都税事務所の敷地)を借用し、住まいを小梅から千住に移した。

 この段階で、林太郎は本郷の寄宿舎にいるのだが、父静男は一八七三(明治六)年に上京した母、祖母、弟と妹とともにが千住に居を構えたのである。いわば林太郎の実家が千住にあったという関係になる。