森林太郎と森静男家と千住の関わりは一八七七(明治一〇)年から九二(明治二五)年の一五年間におよび、とりわけ静男が居を千住に移した七九(明治一二)年以後は、森家の所在地となり林太郎を始めとする森家の人々の本拠となったのである(前頁略年表参照)。林太郎のドイツ留学も、千住から出発し千住に戻ったのである。
林太郎の年齢(数え年)で言えば一八歳から二八歳までの一〇年間が該当している。まさに林太郎が青年期を過ごしたのが千住だったのである。この時期の林太郎に関連する作品として「舞姫」、「ヰタ・セクスアリス」などが知られている。
また森家の家族が著した作品群も千住関係の文芸作品として注目できる。とりわけ林太郎の妹、小金井喜美子の『鴎外の思い出』『森鴎外の系族』は、千住の家のことをはじめ、宿場の町並、祭礼、習俗などを記しており、林太郎の動向を知る資料であるとともに、明治前期の千住の生活記録としても学ぶところが大きい。こうした文献資料に加え、現在も千住宮元町にある「大正記念道碑」は林太郎の撰文として知られ貴重な遺産となっている。
このように林太郎と森一家、さらに周囲の人々によって、文芸作品に千住は描かれ、広く知られることとなった意義は大きいと言えよう。
| 年代 | 事項 |
|---|---|
| 1877(明治10)年(林太郎16歳) | 6/7 東京府、区医出張所を千住に設置。森静男に管理を命じる。 |
| この年、林太郎、東京大学医学部本科にすすむ。 | |
| 1878(明治11)年(林太郎17歳) | 11/19 東京府、静男に区医を命じる。 |
| 1879(明治12)年(林太郎18歳) | 6/11 東京府、静男に南足立郡医を命じる。 |
| 7/1 静男、千住の岡田紋治郎宅を借り、橘井堂医院を開く。 | |
| この年、喜美子(林太郎の妹)、千寿小学校に転校。 | |
| 1881(明治14)年(林太郎20歳) | 7/4 林太郎、大学を卒業。下宿を引き払い千住の家に転居。 |
| 8/27 林太郎、戸籍を千住に遷す。 | |
| 10/23 林太郎、開業免許を申請。認可される。 | |
| 12/16 林太郎、陸軍軍医副となり三宅坂の東京陸軍病院に配属。以後、千住の家から陸軍病院まで人力車で通勤。 | |
| 12/28 林太郎、千住の住所で開業届を提出。 | |
| 1882(明治15)年(林太郎21歳) | 8/16 静男、コレラの検疫業務を東京検疫局から報償される。 |
| 1884(明治17)年(林太郎23歳) | 6/7 林太郎、ドイツ留学を命じられる。 |
| 8/23 林太郎、留学のため出発。 | |
| 1885(明治18)年(林太郎24歳) | 12/- 静男、願いによって南足立郡医を退任。 |
| 1886(明治19)年(林太郎25歳) | この年、静男、コレラの予防医療に従事し東京府や南足立郡役所から褒賞される。 |
| 1888(明治21)年(林太郎27歳) | 2/1 静男、借家であった千住の家を購入する。 |
| 9/8 林太郎、ドイツ留学から帰国し千住の家に帰る。 | |
| この年、林太郎は帰国後、陸軍軍医学舎教官となり陸軍大学校教官を兼務。 | |
| 1889(明治22)年(林太郎28歳) | 2/24 林太郎、結婚のため千住の家から根岸へ転居する。 |
| 1892(明治25)年(林太郎31歳) | 1/31 森静男と一家、千駄木へ転居 |
| 5/- 林太郎、戸籍を千住から本郷に遷す。 |
※出典=「自紀材料」ほか。木村繁氏前掲論文。
※林太郎の年齢=数え年