一九〇七(明治四〇)年生まれの千住河原町の俳人で、本名を善太郎という。号は天舟子、菖蒲園がある。生家は千住河原町、いわゆるヤッチャバの蔬菜問屋であった。家業のかたわら俳句をなし、二六(大正一五)年に『ホトトギス』の高浜虚子、池内たけしに師事した。広く知られた雅号の菖蒲園は池内たけしによる命名であった。二七(昭和二)年には高浜虚子の選に入り『ホトトギス』八月号に句を飾ったほか、様々な句会を催し、活発な活動をつづけたことでも知られている。地元でも千住句会、やっちゃば句会を創立し、一九四三(昭和一八)年には高浜虚子を千住河原町に招いて句会を開いた。やっちゃば句会は虚子の名は虚子の命名で、虚子自身も句会でやっちゃばの歴史を詠み込んだ俳句をなしている。四四(昭和一九)年には『ホトトギス』の同人に推薦されたが、戦時中となり千住河原町の家も罹災し、句会活動も停止状態となった。
しかし戦後にはやっちゃば句会の復活や俳句雑誌の復刊など、俳句の復興に尽力した。一九七三(昭和四八)年の死去後、関係者の手によって『為成菖蒲園句集』(為成菖蒲園句集刊行会、一九七六年)が上梓され、いまでも多くの人々が菖蒲園の俳句にふれることができるようになった(本項の記述も同書による)。