田迎小学校

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天明年中(一七八一)(宝暦元年のころ、文久三年正月ともいい、諸説ある)、正木氏千住四丁目に創立した私塾・群雀堂の後身である。三代目正木兼輔が一八七四(明治七)年六月廃業した時、当時四四歳の田迎嘉典がその後を継ぎ、一八七五年五月、千住町元四丁目五五番地に移転した。一八七七年九月田迎小学校と改称した。一八八四年、校主田迎嘉典は東京府小学校初等科教員検定試験を受け、小学初等科教員免許を取得した。一八八六年一二月小学校令により、小学校と同じ普通教育尋常科を設置し、同月二五日府庁の認可を得た。一八九六(明治二九)年私立田迎尋常小学校は学校設立者の死亡を理由に廃校した。同校には「教育勅語」謄本の受取証と返還の文書が残されている。一八九〇(明治二三)年「教育勅語」が発布され、その翌年にかけて全国の公私立学校三万校に謄本が配布された。配布・受領の実態について本区の記録は残っていない。しかし『足立区教育百年のあゆみ』一七〇頁によれば、田迎小学校では、一八九〇(明治二三)年一二月三一日に「教育勅語」謄本の受取証を出したとしているし、一八九六(明治二九)年に廃校する際、謄本返還手続きの記録「勅語謄本返納方申入案」が資料として残っている。