一八八五(明治一八)年の「明治一八年渡辺府知事管内巡回記」のなかの「各戸長役場部内学齢児童就学不就学一覧表」をもとに算出した地域別・男女別の就学率がある(『足立区教育百年のあゆみ』二〇九頁)。それをもとに、『足立・女の歴史 葦笛のうた』が試算したところによると、一八八五年の時点で南足立郡全体の就学率は、男子で三八・六%、女子で二〇・四%と、男子が女子の二倍近くである。しかし地域別でみると、千住地区では男子が三四・八%、女子が三三・八%と男女の数にほとんど差がない。千住地区は、女子の就学に熱心な土地がらだったといえそうだ。
高等科の就学児童の男女比でも、千住は女子の就学がすすんでいる。女子は尋常科が終われば充分で、高等科まで進もうとは思わない傾向にある中で、千住地区は進学した児童は女子も男子も同じ割合であった。『足立区教育百年のあゆみ』四一九頁に一九一六(大正五)年の尋常小学校と尋常高等小学校の就学児童数のデータが掲載されている。それによれば、南足立郡全体で高等科に進んでいる児童は、男子が二四〇人、女子一七九人と差が大きいが、千住地区だけでみてみると男子一二五人に対し女子は一一一人と、大差はないことがわかる。
女子高等学校は、足立区では六・三・三・四の学制の実施により、千住女子実業補習学校の後身である都立足立高等家政女学校が、都立足立女子新制高等学校(後の足立高等学校)になった。保育園である千住愛育院が商業補習学校を設立した。
また私立校では潤徳学園女子高等学校が設立された。同校については別章を参照されたい。
次に個別の女子学校について記す。断片的ではあるが、千住の女子学校じたいの資料が少ないので、記録が残された範囲内で述べる。