千住町立女子実業補習学校

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一九二〇(大正九)年に一八九九(明治三二)年公布の「実業学校令」が改正され、同時に「実業補習学校規程」も改正された。これによると実業補習学校は、小学校を卒業してすぐに職業に就く青年に対して、一般教育の他に職業に関する知識・技能を授けることを目的とした。

※ 実業補修学校については前掲「実業補修学校」の項も参照されたい。

 「千住町立女子実業補習学校」は、「千住実業補習学校乙部」を新たに独立させたものを直接の母体としている。

 「千住実業補習学校」は、一九一一(明治四四)年四月一日千寿尋常高等小学校内に設置された。一九(大正八)年三月三一日、千寿第二尋常小学校内に移転する。同校は男女共学の甲部と、女子のみの乙部をもっていた。この乙部が二二(大正一二)年一〇月八日「千住町立女子実業補習学校」として独立・改称し、潤徳女学校内に移転する。

 その経緯を示す資料が『足立区教育百年のあゆみ』四八四ページに掲載されているのでそのまま、引用する。

 一、千住町ハ従来実業補習学校乙部トシテ女子ノ補習教育機関アリシガ、今般学則を変更シテ之ヲ廃シ、新ニ独立シタル女子実業補習学校ヲ設立セントスルモノナリ。従来同町ニハ女子教育ノ施設備ラズ、僅ニ付近ニ散在セル旧式ナル裁縫教師ニツキテ技芸ヲ修得スルニ過ギザリシガ故ニ、今女子部ヲ独立セシメテ、設備、学習上ノ遺憾ナキヲ期スルハ最モ時宜ニ適セルモノト云フベシ。而テ其内容ニ至リテハ、新実業補習学校規程ニ準拠スルモノニシテ別ニ支障ヲ認メズ。

一、校舎ハ潤徳高等女学校ノ一部ヲ借用スルモノナルモ、特別室ヘ時間ヲ配合シ共用スルヲ以テ学習上支障ヲ生ゼズ、只三年後ニ至リ同校完成ニ至ラバ狭隘ヲ訴フベキモ、現存幼稚園ヲ独立セシメ且改増築ヲ行ヒ以テ救フベキガ故ニ別ニ差支ナカルベキカ。

「女子実業補習学校設置認可申請」として南足立郡千住町長鈴木精一から東京府知事宇佐美勝夫にあてた大正一二年六月二五日付の書類も、『足立区教育百年のあゆみ』四八五頁に掲載されており、修業の仕組みや科目など細かく知ることができる。

 同校は三二(昭和七)年一〇月一日、「東京市足立区女子実業補習学校」と改称する。三五(昭和一〇)年、補習学校規程の廃止により「東京市足立実科女学校」となる。四二(昭和一七)年四月一日、「東京市足立高等家政女学校」と改称する。同年四月二五日、足立第一国民学校(現在の区立第三中学校)仮校舎に移転する。四三(昭和一八)年七月一日、東京都政施行に伴い、「東京都立足立高等家政女学校」と改称する。四四年一二月二二日足立区千住橋戸町一九の仮校舎に移転する。四六年二月二五日、足立第二国民学校(現在の第四中学校)仮校舎に移転する。同年四月一日「東京都立足立高等家政女学校」は廃止して、「東京都立足立高等女学校」を設立する。四七年六月一五日、千住弥生町一〇に校地を確保する。四八年四月一日学校教育法の適用により「東京都立足立女子新制高等学校」と校名を変更、同年五月一日には夜間課程を設置する。四九(昭和二四)年三月五日校舎完成とともに移転し、四月一日から男女共学となる。同校の女子教育の歴史としてはここまでである。五〇年から東京都教育委員会規則により校名を都立足立高等学校とかえ、現在に至る。


きものを洋服に仕立てた自作を着て
(『葦笛のうた』より)