南足立郡では明治の後半、各町村ごとに教育会設置の動きがみられた。一九〇二(明治三五)年を皮切りに、〇四、〇五年にはその動きは最も盛んとなった。それらを統合する組織として南足立郡教育会が一九〇六(明治三九)年一月に設置された。
教育会の目的は、教育の普及、上進を目的として学校教育の援助、社会教育など幅広く事業を行い幾多の業績を残している。一八八四(明治一七)年一月設定の南足立郡学事集会など教育会関係諸団体に遡る。それはそれは學校長や教員を会員とした学事・批評会等の教育団体とは性格も違い、官制のものとは違う。
これに対して町村教育会は名士や地域有力者を役員とし、会員を会の目的に協賛するものとしている。学校後援会的格も備え、さらに積極的に社会教育の事業を推進した点で差異がある。
教育会設立の動きは舎人村長を勤めた小金井宣助氏を中心とする郡内有志が、明治三十年代に協議を重ねて生まれた。時期的に見ても、義務教育二年延長、就学率の向上など義務教育の発展、日露戦争の戦勝といった背景もあったと考えられる。
町村教育会は、地域の有力者が役員となり、会の目的に協賛したもののみを会員としている。事業の主体は青年補習夜学及び学校教育の援助等であった。