校地と校舎の建設

179 ~ 179

同書によると南足立郡役所の改築で、その旧庁舎を安く譲り受けることになり、一九二二(大正一一)年一一月、千住二勝専寺境内に敷地を借入し、女学校及び幼稚園校舎として旧庁舎を移転増築した。はじめは三年制の高等家政女学校、四年制の実科高等女学校などの案があったが、結局潤徳高等女学校として二三(大正一二)年一一月八日付再出願し、二四年二月一三日文部大臣の認可を得た。なおこの潤徳の二字は、大学の「富潤家徳潤身」という一節から引用したものであった。

 校長には千住町出身の大審院長牧野菊之助博士を迎え、小林条三郎先生以下七名の教職員で学園をスタートした。

 その後、戦後の教育基本法と学校教育法の公布に基づき、一九四七(昭和二二)年に潤徳中学校を、翌四八(昭和二三)年に、潤徳女子高等学校が発足した。そしてさらに五一(昭和二六)年、設立者名義を学校法人潤徳学園とした。なおこの年に定時制高校を開校している。その後も千住にある私立女子高等教育機関として歴史を重ね、現在に至っている。


創立当時の潤徳学園校舎(『創立六十周年史』より)


裁縫の授業風景(『創立六十周年史』より)