一九一六(大正五)年に、荒川放水路で切られた西掃部堀を暗渠にして大正道を造成したが、この道に沿って、二〇(大正九)年三月、現在の千住寿町に千寿劇場(千住劇場とも)があった。寄席と同じような感じだが、詳細は不明であった。これが三〇(昭和五)年に東京下町のチェーン映画館金美館の千住館と改名して再出発した。
三五(昭和一〇)年頃、大改修して入口をその頃完成した駅前通りにし松竹映画の封切館となって、千住では高級館として人気を博した。特に、この館は近くに柳町の歓楽街を控え、周辺飲食店などの女性とその馴染み客が多く見に来ていた。これらの客は二階を利用した。二階は畳敷で座布団を敷き、芝居の桟敷の雰囲気があったから好まれたのである。
戦前は上原謙と高峰秀子の『愛染かつら』、戦後は佐田啓二と岸恵子の「君の名は」などで大入りが連日つづいたが、この館も六一(昭和三六)年頃に閉館した。