この映画館は「千住東映」というが、千住っ子には「新橋館」でないと通用しなかった。一九二八(昭和三)年に開業という。浪曲の資料には三三年一月の記録がある。この地は国道の市電(都電)の終点「千住四丁目」から東に入り、千住町旧道の西側裏道に面して建っていた。東映は仁侠物の映画が中心であった。
この映画館の映画フィルム運びの自転車は名物だった。どの映画館もフィルムは、他館と掛け持ちで回して使っていたから、上映し終わるとすぐに他館の運搬屋が持ち去り、また、自分の館は他館から運ぶ。この自転車は後ろの荷台に映画のフィルム缶を積んだスポーツ車で、ハンドルが低く戻りのない踏切りというペダルを尻を挙げて漕ぎ、ベルを鳴りっぱなしにして裏道を疾走する。逞(たくま)しい運搬屋は子どもには憧れのお兄さんだった。
八八(昭和六三)年に閉館し、その跡地はマンションになった。