寿劇場

184 ~ 184

戦後間もない一九四九(昭和二二)年、千住寿町一〇-一四に大衆演劇常設館として開館し、下町の芝居好きには忘れられない劇場だった。建坪約八〇坪、木造モルタル、トタン葺、入口に「寄席の歌舞伎座大道具使用」とあった。

 創立者は旧満州から引上げた軍人、清田篤市さんで、地元の炭屋さんと共同出資で設立した。「戦時中、若い部下がたくさん死んでいった。生きて帰った者としてせめて、若者の両親に少しでも楽しんでもらいたいと劇場を建てようと思った」と語る。

 出し物はチャンバラ、世話物、歌謡ショー、喜劇、舞踊が加わるバラエティーに富んでいた。三波伸介、東けんじ等もこの舞台を踏んだ。

 開業から五五年頃まで、月に二〇日は大入り満員の盛況が続いていた。しかも定員一八〇人に対し、五〇〇人という盛況だった。しかし、五三年に放送開始したテレビの出現によって、五〇年代後半になると客の入りが目に見えて減ってきた。七〇年代過ぎになると平均五、六〇人となり、劇団存続の努力も空しく一九七五(昭和五〇)年に閉館した。

 その年の一月一四日、幕引きの日は、定員の三倍以上、六〇〇人が集まった。開場一時間以上も前から行列が出来、客席は足の踏場もないほどだった。当日お別れ公演に出演した劇団は、「劇団光新進座」「あけぼの劇団」「若葉劇団」「演美座」「劇団不二」「梅沢劇団」など旅回りでは一流の八劇団だった。大人三〇〇円、老人割引二〇〇円、小人一〇〇円の通常料金をはるかに上回る特別料金大人一三〇〇円、小人六〇〇円に最後の入場者は何の文句もつけなかった。在京の新聞社はこの最終公演をこぞって社会面で取り上げた。その記事に「寿劇場幕下りる。遅かりし大入り」とあった。


寿劇場の入口(1975<昭和50>年)


寿劇場の最後の舞台(1975<昭和50>年)