真言宗豊山派の寺院で、本山は奈良県の長谷寺である。山号は西林山、寺号は長福寺である。安養院の創建は鎌倉時代の建長(一二四九~五六年)の頃、北条時頼が建立したという(『足立区仏教会その歩みと名鑑』、以下『仏教名鑑』)。また、『明治五年 古義真言新義真言本末一派寺院明細帳Ⅱ』には一三九五(応永二)年、一九三四(昭和九)年の『寺院明細』には文永年中(一二六四~七五年)創立とある。
当寺の由緒について『風土記』には、
新義真言宗。本木吉祥院門徒。西林山長福寺ト号ス。元ハ寺号ヲ以テ行ワレシガ。故アリテ院号ヲ称スト云。当寺ハ昔北条氏政カ祈願所ニシテ、同人ヨリ出セシ文書モアリシガ。後丙丁ノ災ニカヽリテ失ヒタリト云。又其頃ハ四丁目ノ小名金仏耕地ニアリテ。本尊弥陀ハ則カノ所ニテ掘出セシモノナリト云。開山ノ僧ヲ伝ヘズ。享保年中。シバ/\御腰掛トナリシ寺ナリト云。
と記されている。これによると、安養院は吉祥院(本木西町)の末寺で、はじめ西林山長福寺と号していたが、西林山安養院と号するようになった。かつて、安養院は千住四丁目小名金仏(かなぶつ)耕地(現千住桜木一丁目付近)にあった。『風土記』千住四丁目の項には、
金仏耕地(カナブツカウチ) 安養院ノ本尊弥陀ヲ堀出セシ地ナルヲ以。此名アリト云。然ラハ銅仏ト書シ意ニヤ。
とあり、金仏耕地は安養院の本尊阿弥陀如来が掘り出された場所で、それが地名由来となった。金仏とは銅仏の意味だという。一九三四(昭和九)年の『寺院明細』によると、一五九八(慶長三)年に現在地に移転し、中興開基賢智をもって第一世とした。賢智は浮屠氏の出身で、千住四丁目名主吉左衛門(高梨勝広)の伯父にあたり(「高正天満宮縁起碑」)、一六五二(慶安五)年に示寂した(「西院血脈」、安養院文書)。
境内には、本堂・山門・書院・庫裏・地蔵堂・随求陀羅尼塔などがある。現在の本堂は屋根の真中に宝珠がのる宝形造りで、一九二四(大正一三)年に建てられた(『仏教名鑑』)。
境内には「かんかん地蔵」とよばれる像がある。一六九九(元禄一二)年に作られたものと伝えられ、病気平癒や悩み事解消を祈願し、小石で地蔵の顔面を打って祈ったためすり減っている。『足立区文化財調査報告書 庚申塔編』には、安養院の庚申塔として四基載っている。笠付角柱型庚申塔が二基あり共に青面金剛が刻まれている。一基は一六八六(貞享三)年に造立され、一七四九(寛延二)年・安正年中(安永か)一八五五(安政二)年・一八七三(明治六)年の四回再建が行われた。もう一基は一七〇二(元禄一五)年九月に造立された。光背型地蔵庚申塔も二基あり、一六六四(寛文四)年と一六七〇(寛文一〇)年に造立された。