勝専寺(千住二丁目一一番)

191 ~ 192

 赤門寺として知られる寺で、三宮神山大鷲院勝専寺と号す。宗派は浄土宗、本山は知恩院(京都市東山区)、本尊は阿弥陀如来である。『風土記』には次のような記述がある。

 勝専寺 浄土宗、江戸駒込蓮光寺末、三宮神山大鷲院ト号ス。古ハ常行院トイヘリ、文応元年(一二六〇年)草創ノ古刹ニシテ、開基ヲ新井兵部政勝ト云、開山勝蓮社専阿寺伝ニ云。此僧ハ当国ノ住人。甘粕太郎忠綱ノ三男ニシテ、父忠綱建久年中日吉八王子ノ陣ニ討死セシニヨリ、父ノ追福ノ為ニ出家シ、源空上人ノ弟子トナレリ、時ニ専阿十三歳ナリ、其後当寺ヲ開キテ、弘安六年(一二八三年)三月八日百五歳ニテ寂セリト云、按ニ浄土伝灯総系譜ニ辨阿上人ノ弟子ニ専阿トイヘル人アリ。弁阿ハ源空上人ノ弟子ナリトイヘハ、此人源空ニモ従ヒシト見エタリ。コヽニ云所ハ此専阿ナルニヤ

これによると、勝専寺の創建年代は一二六〇(文応元)年八月一五日、開基は新井兵部政勝、開山は勝蓮社専阿とある。専阿は甘粕太郎忠綱の三男として武蔵国に生まれ、一三歳の時に父の追善のため源空(法然)の弟子となり、その後勝専寺を開いた。

 『勝専寺史』によれば、現在の本堂はコンクリートを主体に、側面に赤煉瓦がはめこまれており、一九〇六(明治三九)年に建立された。改築の時、葵の御紋章の屋根瓦(一片が現存している)木造の本堂を取壊すことについては、反対もあったようであるが、住職了眼師は天災地変の憂いのないようインドにある寺院を模して親しい建築家に造らせたといわれている。


勝専寺本堂


勝専寺山門