新義真言宗の寺で、千龍山妙智院慈眼寺と号し、本尊は聖観世音菩薩である。『仏教名鑑』によれば、一三一四(正和三)年二月、行覺によって建立されたと伝えられている。『風土記』には慈眼寺について次のように記されている。
別当慈眼寺 新義真言宗。本木村吉祥院末。千龍山妙智院ト号ス。本尊弥陀仏弘法大師ノ作ナリ。相伝フ当寺ノ境内ハ。本木吉祥院ノ弁天社アリシ所ニシテ。後カノ地ヘ移セシ蹟ヘ当寺造立セシト云ノミニテ年代ヲ知ラズ。
これによると、慈眼寺は本木吉祥院の末寺で、弘法大師作と伝えられる阿弥陀如来を本尊としていた。境内は吉祥院の弁天社が鎮座していた場所で、本木村に遷座した後、慈眼寺が創立されたという。また、慈眼寺は稲荷社(一八七三<明治六>年氷川神社と合祀、一九一五<大正四>年千住神社と改称)の別当寺であった。
慈眼寺は、勝専寺・源長寺と同様に、本陣の代わりを勤めることがあった。一八五〇(嘉永三)年の日光門主通行の際、本陣が類焼してしまったため、その代わりとなった(『旧考録』後編所収「二四嘉永三年脇本陣御用」)。
一九四五(昭和二〇)年四月一三日の空襲で、本堂・客殿・庫裏・薬師堂は全焼した。現本堂は一九五六(昭和三一)年四月に、客殿・庫裏は一九六三(昭和三八)年一二月に完成した。本尊は、一九五四(昭和二九)年四月七日高村光雲の弟子、虻川白雲に制作を依頼し、一九五六(昭和三一)年三月三〇日に完成した一木造りの等身像である(『仏教名鑑』)。