高さ八〇m程の小さな石碑で、一八一三(文化一〇)年九月二八日鈴木求知ら門人が建立した。碑の表に「夏の野に 火は消えながら 月夜かな」と、路川の辞世の句が刻まれている。裏は、三七〇字余の漢文の追悼文である。
碑文によると、路川の姓は石垣、名は和隆。剃髪した後に一啓斎と称し、また、路川と号した。駿州鞠子(まりこ)(静岡県静岡市)の農家に生まれ、若くから文学や書法を好み、諸方を遊歴後、江戸に上った。五〇歳の時、俳友建部巣兆の住む千住に来た。「家は、ただ四壁、一として長物なく、清素にして自ら楽しみ、書法を以て教え、句読を授けて業となす。」とあり、門弟から、慈父のように敬愛された。一八一三(文化一〇)年六月一七日没、源長寺に葬られた。
一九八四(昭和五九)年一一月一四日有形文化財(歴史資料)として登録された。