千潮金刀比羅宮(ちしおことひらぐう)(千住橋戸町五〇番)

201 ~ 202

 千住橋戸町の都立中央卸売市場足立市場の敷地内にある。この地に市場ができる以前から橋戸稲荷神社の末社として祀られていた社である。祭神は大物主命(おおものぬしのみこと)・安徳天皇(あんとくてんのう)・倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。

 境内にある「塚田社記」(一八九四<明治二七>年建立)と「千潮稲荷」(一九五八<昭和三三>年建立)という二つの碑文から、その由来を知ることができる。「塚田社記」によると、金刀比羅宮は古くから祀られ、洪水の時も浮き上がるように見えたため「浮島金刀比羅宮」とよばれた。毒疽や災い除けを祈願する人は鰯を食べることを断ち、線香を供えたという。一八七六(明治九)年に「私社」として参拝が禁じられたが、一八八八(明治二一年)に北豊島郡石神井村にあった水天宮を合祀することによって社が存続されたという。一方「千潮稲荷」によると、一九二四(大正一三)年、南千住の汐入に設置された千住鮮魚販売所の人々が場内に伏見稲荷神社の分霊を祀ったのが千潮稲荷神社の始まりである。その後、一九二五(大正一四)年の東京北魚市場(西新井村本木、現千住桜木二丁目)開設、一九二七(昭和二二)年の中央卸売市場足立分場の開設によって移転を繰り返したが、東京北魚市場株式会社の守護神として場内に奉斉された。

 千潮稲荷神社と金刀比羅神社の合祀については、一九六五(昭和四〇)年頃の市場整備拡充において新社殿に改築して、一社殿に合祀し、同時に千潮金刀比羅宮奉賛会を設立することとなったという。一九六六(昭和四一)年、間口一間、奥行き四尺五寸、流造の本殿と四柱切妻屋根の拝所からなる現在の社殿が完成した。元来千住橋戸町のお宮であるから、町内にも金刀比羅宮奉賛会があり、橋戸稲荷の総代中から一人が、千潮金刀比羅宮の総代会に参加している。


千潮金刀比羅宮