伊豆の長八

203 ~ 203

一八一五(文化一二)年八月五日、西伊豆の松崎(静岡県賀茂郡松崎)で生まれた。この出身地から伊豆の長八と通称される。一二歳で地元の左官関仁助の弟子となり修行を積んだが、その器用さ利発さは、当時すでに評判だった。一八三三(天保四)年一九歳の時、志をいだいて江戸に出て、左官波江野亀次郎の下で職人となる一方、川越に行き谷文晁の高弟、喜多武清について狩野派の絵を学んだ。長八はその技術を生かして鏝で絵を描き、漆喰の灰汁止めに漆を使って、自由に彩色できる新技術を創案した。さらに技量を高めて漆喰鏝絵を生み出し、芸術にまで高めた。美声の持ち主で新内は玄人の域、多くの文人墨客と交遊があり、千住宿とのかかわりも、この辺りにあったのかもしれない。長八は一八八九(明治二二)年、深川八名川町で七五歳の生涯を閉じた。直前まで、多くの弟子を育て、その技術を伝授した。


長八像(『伊豆長八作品集 上巻』より)

 長八の作品は、かつて東京と静岡(伊豆)を中心に多く残されていたが、関東大震災や太平洋戦争の空襲でかなり失われた。幸い橋戸稲荷の夫婦狐の鏝絵は、度々の洪水や戦火にも耐えて残された貴重な作品である。区内には、ほかに潮汲みの図(柳原・冨澤家)と遊女の図(千住二丁目・田辺家)があり、足立区登録文化財となっている。


遊女の図(〈有〉鳥幸商店蔵足立区登録文化財)